満州などについて勉強した

日本は満州へも進出しました。1906年に関東都督府を旅順におき、政府と民間が半分ずつ出資する半官半民の南満州鉄道株式会社を設立して、南満州への経済進出を独占的に進めました。またロシアとは日露協約を結び、勢力範囲を定めました。日本の満州独占化はアメリカを刺激しました。アメリカは南満州鉄道株式会社を列国で共同経営することを提唱しましたが、日本がこれを拒否したことから日米関係は悪化しました。アメリカ国内では、日本人の移民問題もあり、サンフランシスコで日本人が公立学校へ通学することを禁止する事件がおこり、日本人移民排斥運動が激化しました。20世紀をむかえると、伊藤博文や山県有朋は第一線を退いて非公式に天皇を補佐する元老となり、これ以後山県系の桂太郎と立憲政友会の西園寺公望とが交代で政権を担当する時代が続きました。この時代を桂園時代とよびます。しかし、内閣の背後には元老がいて天皇の相談相手となり、次期首相の推薦をしたり重要会議に参加しながら、大きな影響力を持っていました。1901年に成立した第1次桂太郎内閣は日英同盟を実現し、日露戦争をやりとげて第1次西園寺公望に交代しました。この内閣は1907年の恐慌で行き詰まり、翌年に再び桂太郎が引きつぎました。

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